気づかなかったけど大事なこと

今日練習してて"言われて"気づいたこと

自分で気づくべきであったがこれまで気付けなかった
だからこそ成長することがなかなかできないのだろう

それは
細かいことに気を配ろう
という簡単にして、自ら気き意識を常にしていなければ難しいことである( ・`ω・´)キリッ

僕の練習に対する態度に関して言えば
めんどくさがって譜面代を使わない、メトロノームに合わせない、チューナー使わない
(最近は改善傾向にある...はず...)
個人で弾く時のチューニングを丁寧に行わない
隣の弦に弓が当たって雑音が生じても気にしない
基礎練を分けも考えずやみくもになんとなくやってる
できない箇所をインテンポで無理やり弾いて
できたと勘違いして練習を終わらせる

God is in the detail.
神は細部に宿る

ともいうが、ちょっとした1つ1つのこだわりと丁寧さの積み重ねによって人間は日々成長して行くのだろう

それを怠ってきた僕は成長しないのも当然の理である

精神的に向上心のないものは馬鹿だ

とKに罵られそうですねw(夏目漱石、『こころ』参照)

この細かいところへの気遣い、こだわり、丁寧さというのは日常生活にも言えるでしょう

細かいところに気遣いするにはそれ自体を予測したり理由、状況などを分析する必要があり頭を使いそうですね

賢い生き方をしたいものです

「神は細部に宿る」という言葉には精神世界的な深い意味がある

「神は細部に宿る」という言葉をご存じでしょうか?出典ははっきりしていないようですが、建築家のミース・ファンデルローエや美術史家のアビ・ヴァールブルグなどがこの言葉を好んで使っていたと言われていて、そのためか、建築やデザイン、芸術の分野などで用いられることが多いようです。一般的には、「目立たない細かい部分までも手を抜かず、妥協せずに完璧に仕上げてこそ、全体の完成度が決まる」といった感じの意味として理解されていると思います。それはそれで真理をついていると思うのですが、この言葉には精神世界の視点からみたもっと深い意味があるように私には思えてなりません。 私たちの多くは、一日のほとんどの時間を何気なく頭の中で何か考えながら過ごしています。頭の中で次々と展開する思考に没頭してしまっていることで、私たちは思考そのものを自分自身だと錯覚してしまいがちです。しかし実際は、私たちはの本質は思考ではなく、意識です。日常に起こるたくさんの出来事やそれに反応して起こるさまざまな感情、思考に完全に気を取られ、そこで繰り広げられていることはすべて意識の中で起こっていることだということを忘れてしまっています。 意識には「在る」とか「気づいている」といった性質がありますが、私たちがその本質である意識を自覚するには、思考からはなれ、常に「今、この瞬間」に気づいている必要があります。たとえばトイレに行く時、トイレに行って用を足すことや、あるいはトイレとはまったく関係ない思考が頭の中を占領し、トイレに向かって歩いているという「今、この瞬間」行っている行為そのものにはほとんど意識がありません。思考していると、「今、この瞬間」に自分がやっている行為そのものに気づきにくくなるのです。この場合、歩いているという行為それ自体を目的として、意識的に歩くことで、歩いていることに気づいていることができ、結果的に「今、この瞬間」に気づいていることができます。 ここで、覚者エックハルト・トールの言葉を引用します。彼は、著書「ニュー・アース」のなかでこう語っています。 大きなことは、小さなことを大切にするなかから生まれるんですよ。どんな人の人生だって小さなことから成り立っているのです。偉大だとか立派だとかいうのは精神的抽象的な概念で、エゴの大好きな幻想です。ところが偉大なことの基本は、偉大という概念を追いかける代わりに、いま

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